「市中の山居」軽井沢のTEA GARDEN(露地)~茶(庭)の歴史~
こんにちは。
幹制作所 代表の井村幹仁です。
この暑い暑い夏。
数日ですが避暑地に逃げてまいりました。(笑)
もちろん仕事ですよー(^^♪
一年前に作庭させていただいた軽井沢にの茶庭(露地)の管理に伺いました。
茶庭(露地)は安土桃山時代に生まれたお庭で、日本文化の象徴です。
茶(庭)に関して簡単に説明させていただきますと、
お茶自体は中国で広まり、鎌倉時代の僧で栄西という禅僧が日本に持ちかえりました。その苗を明恵上人に献上した、とあります。
もともとは薬として、修業のため(眠気を覚ます)として中国から持ち込まれています。
栄西は「喫茶養生記」という茶道書を書き留めます。茶の栽培や喫茶の方法、喫茶による養生などについて書き記しました。
時の将軍源実朝が二日酔いの時に一服の茶とともに喫茶養生記を献上したと言われています。
その後、闘茶という文化(遊び)や室町幕府の足利義満、足利義政の唐物主義を経て、侘茶の開祖である村田珠光、武野紹鴎、千利休を経て今の茶道、茶の世界に繋がります。
茶庭である露地もその流れの中で段々と出来上がってきました。
ある茶書では千利休の時代の茶庭では蹲踞まわりの役石である「湯桶石や手燭石は当時はなかった」と書いてあるものもあります。
武野紹鴎の時代も面ノ坪ノ内、脇ノ坪ノ内といまの茶庭の前身となるものが現れました。
このようにして茶庭(露地)も時代の流れとともに段々と決まりことも増えていったのでしょう。
その中でほぼ決まり切った形で今に伝わります。
「市中の山居」
村田珠光の養子である村田宋珠である茶人が市中の山居という言葉を残します。
では市中の山居とは?
それは市中にありながら山住まいを思わせるような茶室とのことです。
つまり都市部に(街中)に住んでいながら山の中を感じさせる住まいになります。
市中の山居=茶庭という意味ではない
つまり何が言いたいかというと
私たちの暮らしは市中の山居が理想的ということ。
街の中の喧騒の中を生活している私たち。夜まで明るくビルに囲まれている生活。
せめて帰る場所は落ち着きたい。
風揺れる木々に囲まれ街の喧騒を忘れる住まい。
これが「市中の山居」です。
茶庭(露地)のイメージがついていますが、実は日本人の心の中には常に「市中の山居」はあるのです。雑木の庭づくりはまさに市中の山居。
皆さんもお庭づくりで「市中の山居」を手に入れてもませんか??
茶の心を誰もがもっている日本人。
そして大の日本通の外国人の方もその心得を習得している時代。
日本の文化や風土を体感し味わおう(^^♪
以上、「市中の山居」軽井沢のTEA GARDEN(露地)~茶(庭)の歴史~
ではまた次回♪
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